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Yが今日から泊まりがけで出掛けている。
3泊4日、Y宅にミシンがある関係上Yの家の合鍵を預かって1人でいる状態だ。
サークルの合宿だそうだが、大量のギターの2弦とフラフープ、それからアルミホイルを持って意気揚々と出掛けていったが、何部に入っているのだろうか。
マルチ商法とかに引っかかっているのではないだろうか。
一方、わたしは来月から復職予定ではあるものの休職ニートなので遊び相手も平日は居らず、とても寂しい思いをしている。
友人達からは「子育て解放」とか「最近話題のママ閉店じゃん」とか散々言われるが。
Yの破天荒アホに振り回されているように見えて、実はそうでもない。
理由は2つある。
①基本的にYのやらかしはYが責任をもってリカバリーしているから。
②自分1人しか困らない場面だと基本的に私の方がアホだから。
①について。
これは私たちの考え方からきている。
Yがなんかやらかす時、わたしは腹を立てたり死ぬほど面白がったりするが基本的に何もしない。
ブログに「本日のアホ報告」をまとめるだけである。
Yもぐずぐず言いながらなんかちゃんとしている。
そんでリカバリーが済んだら特に叱ったりしない。
リカバリーするまではめちゃくちゃブツブツ言うけど。ほんとよくないごめん。
②が問題だ。
私は困るのが自分だけである場合、徹底的にアホになってしまう。
宿題とかしょっちゅう忘れてたし、ひとり暮らしの家もクソ汚かった。
Yと付き合い始め、「私がちゃんとしないとこいつは料理中に家を丸焼きにするかうっかり洗濯ものと一緒に首を吊るか風呂の水を止め忘れて溺死する」という謎の使命感から割としっかりしているだけなのだ。
だって、Yは歩きスマホしてないのに電柱にぶつかって何故か乳首を痛める男だ。
いつ死んでもおかしくない。
Yが突然死んだらめちゃくちゃ悲しいと思うけど、びっくりはしない。
余談だけど、先日福岡の中心部である天神地下街で凄い勢いで時計屋に向かおうとする彼氏らしき男性の首根っこを掴んでいる女の子がおり、謎のシンパシーを感じた。
つまり、Yがいないと私はアホなのだ。
さっき、晩ご飯を買いに財布だけ持って近所のコンビニに向かった。
途中で何を思ったかスーパーに進路変更をしてしまい、惣菜を買ったんだけど、手ぶらなのでボーーーーっとしており、何を思ったか袋を拒んで裸の惣菜を抱き締めて帰る羽目になった。
そして、色とりどりの惣菜を抱いて帰っているところを高校以来の友人であるKに偶然出くわした。
Kは私を見て一言
「なんか間違い探しの間違ってる方みたいだね」と言って去っていった。
Yがいない方の私は間違っている方の存在らしいので、とにかくはやく帰ってきてほしい。
国語がどうもダメで嫌いだから仕方ないのかもしれない
さくらももこさんの訃報が報道されて数日が経った。
友人のいなかった学生時代、彼女のエッセイをよく読んでいたのを覚えている。
何に収録されたものだったか忘れたが、父ヒロシ氏が風呂で歌う歌詞を間違えてしっちゃかめっちゃかだったという趣旨のものがあった。
彼氏Yも歌詞をめちゃくちゃアホみたいに間違える。
Yは音楽に関して才能があり、ピアノを殆ど習ったことがないのに一度聴いた曲ならピアノで弾けてしまったり、いきなり雰囲気でドラムが大体出来たり、雰囲気で作曲ができたりする。
その特性なのかわからないが、彼は音楽を聴くときに歌詞をも音の一部として捉えているらしく、語感だけで歌を歌うのでハチャメチャに歌詞を間違えてしまうのだ。
YはBUMP OF CHICKENのファンなんだけど、
5分後に踏切が大袈裟な荷物を背負って来たり、静寂を切り裂いていくつもの君を生み出したりする。終いには君が2秒遅刻したくらいで1人で天体観測を始めたりしてしまう。
また、入るのか?これ入るのか?と歌った後高らかに「持ち帰れないぜ〜!」とおもっくそダメな方に歌詞を間違えて分別奮闘記を分別がつかない感じに改変してしまったりする。ヤリ捨てじゃん。サイテー。
ボカロの歌詞とか元が意味深なので本当にひどいことになる。
Neru氏の代表的作品である『ロストワンの号哭』では、
「数学と理科は好きですが 国語がどうもダメで嫌いでした」の部分を
「数学と理科は嫌いですが国語はどうもダメで嫌いでした」とただの馬鹿報告書にしてしまった。
ちなみになにが好きなのか聞いたら「音楽」と返ってきた。テメーの成績は1だ馬鹿野郎。
『ロミオとシンデレラ』のサビなど「ずっと恋しくてシンデレラ でもその名前で呼ばないで 魔法よ 時間を止めてよ ジュリエットに邪魔されちゃうわ」と、もうめちゃくちゃである。脳みそが混乱する。何と呼べばいいのか。
アニソンも酷い。
かの有名な『ライオン』のサビのフレーズ「生き残りたい まだ生きてたい」を「生き残りたい 生き残れない」と壮大な出オチにしたり
『コネクト』で「交わした約束 忘れないよ 目を閉じ考える」と交わした約束お前絶対忘れたやろって感じになったり
『Snow halation』を「Summer vacation」と間違って季節をひっくりかえしたりしてしまう。
他人の鼻歌にツッコミも野暮だと思って黙っていたのだが、先日米津玄師の『LOSER』を「ヘイヘイ loser アイムヒーローwww遠吠えだっていいだろうwwww」と煽りソングにされ、一米津ファンとして流石に突っこまざるを得なくなってしまった。
そもそものらりくらり歩き回ってぬらり(?)にたどり着いていた地点で突っ込むべきだったんだけど。
余談だが、Yは鼻歌を歌うときイントロから歌うのでロストワンの号哭も「ドゥンドゥンwデュクデュクwドゥンドゥンwデュクデュクwドゥンドゥンwデュクデュクwドン!!!\ピィー/」って歌う。
正しい歌詞は読めますか?
もうどうだっていいや。
(追記)
これ投稿した30分後なんですけど、『ウミユリ海底譚』のリズムで「ちょっと黙ってよ 死にたくないなら僕の歌を笑わないで」って歌ってる。怖い。
超真面目な話
少し真面目な話をしようかと思う。
いわゆる『発達障害者』だ。
私は九州の片田舎で生まれた。
両親は、まぁ普通に愛情を持った『いい親』だったと思う。
思う、という表現になってしまう理由は、私が両親(特に母)のことが嫌いだからだ。
田舎ということもあり、私はこの発達障害からくるコミュニケーション力の欠如でさんざんな目に遭ったし、色々な人を散々な目に遭わせた。
友達はいなかった。
最初は良いと言っていたのに、クラスの権力者や先生がダメだと言った瞬間に手のひら返しをするクラスメイトたち。
最終的に、意見を変えなければ私1人が悪者になるようだった。
私は、誰がどう言うかで物事の善悪を判断する人の考えが理解できなかった。
例えば。
私は絵を描くのが好きで、クラスメイトを題材にした漫画を描いていた。
クラス内でも特に私を咎める人はいなかった。むしろ、見せて、描いてと言って来た人が複数いたほどだ。
その1つが題材となったクラスメイトを傷つけてしまい先生に叱られた。彼にはそれについて謝罪した上で、そのページを破って捨てた。
しかし、途端に自分のことを描かれて笑っていた者や、描いてとせがんで来た者まで次々と「実は傷ついていました。謝ってください」と言ってきた。
例えば。
クラスに浮いてる女の子がいた。
私は彼女を好きではなかったのだが、クラスメイトも同じらしく、彼女はどんどん孤立を深めていって、学校に来なくなった。
彼女が登校をやめた翌日に、率先して彼女をはぶいていたはずのクラスの女子グループが、彼女への寄せ書きを提案した。
内容は謝罪ではなく、「一緒に遊ぼう」というものだった。
納得がいかなかったが、寄せ書きを送った翌日に彼女が学校に来ると、先生は女子グループを褒めそやした。クラスメイトは彼女の机を囲った。
私は彼女が好きではないし話しかけられることもなかったのでなにもしなかった。
次の日には、私が一人で彼女をいじめたことになっていた。
たしかに、私は悪いことをした。
漫画であるクラスメイトを傷つけたし、いじめに加担した。
私は私がこうすべきだと子どもなりに考えたことに従った結果、誰かを喜ばせも傷つけもしていた。
そして、その結果に関しては素直に反省点だと思ったし、次からはどうしようと考えていた。
でも、クラスメイトにその行為を断罪されることについては気分がよくなかった。
その行為の善悪を測っていいのは該当する相手(漫画の中に出てきた彼や、いじめられていた彼女)だけだからだ。
それ以外のクラスメイトは、漫画に出して欲しいと言ってくるなりいじめに加担するなりしていたのだから、私の行為を断罪することなどできないはずだ。
むしろ、いじめられた彼女を侮ってすらいないか。傲慢にもほどがないか。
なぜ、恥ずかしげもなくそんな行為ができるのか。わからなかった。
だから、自分の思ういい悪いが存在しないように見えるクラスメイトたちと仲良くしたいとは思わなかった。
昨日まで面白がっていたことを今日は断罪する。私には意味がわからなかったし、そんな彼らを信用などできなかった。
ただ、みんなと合わせないと目立つし浮く。
そのうち、クラスから私は孤立していった。
母はその事態を重く見たようで、毎日のように泣きながら私がおかしいということを訴え続けた。
そして、クラスの女子グループに入れない私に「協調性を持ちなさい」と呪文のように言い聞かせた。
正直に言おう。
非常に迷惑だった。
繰り返すが、私はクラスの友達と仲良くなんかできなかった。
クラスメイトたちは、先生や権力者の言うことこそが絶対だと信じていた。
クラスで目立つタイプの女子などは、その善悪判断基準を『先生がなんと言うか』に置いており、私がしたことの何が悪くて何が良いかなど見えていなかった。
彼らは『合わせる』ということに苦痛を感じていないどころか、そもそも私や他人の行為に関して、自分自身で決めた是非を持っていないようだった。
私の描いた漫画は、先生に叱られた瞬間に『やってはいけないこと』と化したのだ。
例え、自分自身が描かれたページを読んで自分が面白いと感じていたとしても。
私にはそんなクラスメイトたちがひどく異質なものに感じられた。
まるで先生という指令者によって、機械で動く人形かパソコンのように感じられた。
そんなものと協調性を持てだなんて、どうかしている。
いくら言葉を尽くしても伝わらない。
『○○が違うって言うから』という、理由になってない反論で全てを丸め込まれる。
機械人形たちが気持ち悪くて気持ち悪くて、私は全てを我慢するか、あるいは暴力に訴えるしかなかった。
そうなったら終わりである。
暴力は、以前にどんなに虐げられていようと振るった地点でだめだ。
『わがままが通らないと暴力に訴える子ども』の完成だった。
喜怒哀楽も生き方も自分で決めたい。そんな私にとっては当たり前のことが、みんなにとってはわがままなのだと知った。
母はそういう私に、
「親はいつか死ぬ。そうしたら今のあなたを誰も大切にしない。そうならないために協調性を持ちなさい。」と涙ながらに言って聞かせた。
母は私がした悪いことより、
クラスメイトと同じことを行わないことで孤立を深めている状況について心配し、叱っているように感じた。
私が浮いていることにより、母や妹は肩身の狭い思いをしているようだった。
でも、私にはなぜ母が、妹が、機械人形たちの、プログラムみたいに仕組まれた喜怒哀楽に合わせようとし、それを良いことだと信じて疑わないのかわからなかった。
母や妹も機械人形に見えた。
この姿勢は私が中学生になって、表立って悪いことをしなくなった後も続いた。
機械人形たちは、皆似たような娯楽に興じるようになっていた。
ドラマや流行りの音楽は私も観たり聴いたりした。良いと思うものもたくさんあった。
でも、その感想を語ることは出来なかった。
彼らにドラマのどこがよかったか、音楽のどこが好きかを語ると引かれてしまう。
喋り方が悪いのかと思ったので、黙った。
そして彼女らの話を聞くと、彼女らは別に流行りのドラマや音楽に特に感想を持っているわけではないらしいということがわかった。
同じものを見て聴いて、共有していたいだけだったのだ。
そして、私が何も言わないでいると
「○○のシーンでこう思わないなんておかしい」と、また断罪が始まるのだった。
彼らは機械人形のままだった。
指令者が先生からより遠くの、テレビやSNSで目立っている人に置き換わっただけだった。
地獄だった。
2つ違いの妹は『私のせいで』レッテルを貼られて嫌な思いをしているらしかった。
妹は我慢しているけどつらそうだから、普通になるよう努力しろ、と母は涙した。
なぜ妹が機械人形たちを放っておかないのかわからなかった。
なぜ機械人形に冷たくされて辛いのかわからなかった。
誰かが悪いからといってその血縁者に変なレッテルを貼る人形たちと、なぜ仲良くしたいと願うのか。
なぜレッテルを貼る側ではなく私を変えようとするのか。私を叱るのか。
今思えば、母も妹も機械人形なのだ。
どこかで指令を出している偉い人が言うことに、疑問なんか持たないのだ。持つ方がおかしいに決まっているのだ。
ましてやそれを表明したり私が反抗しようものなら、母や妹とて私を断罪するのだ。
父は違ったように思う。
父は私たち姉妹に『自分の頭で考えろ』と常に言って聞かせた。
きっと、機械人形になるなということだったんじゃないかと思う。
父は何だかんだ優しいので黙っていたけれど、母方の親戚が芸能人やら親戚づきあいやらの話で盛り上がっている時、私とともに疲れた顔をしていた。
そして私と2人で別室に行ったり車で移動することが許されると、どこか安堵した顔をして、私に自分の好きな航空機や研究の話をするのだ。
私は父の話も別にあまり興味がないため、面白いと思ったこと以外はほんほんと聞き流していたが、父は母と違い、私が相槌を打ったり面白そうな反応をしないことに機嫌を損ねたりはしなかった。
父は不器用な人間なので、たまに手が出たり感情的になったりするが、少なくとも機械人形ではなかった。
だから、お互いの持つ話題に興味はなくとも、父との会話は心地よかった。
父は母のことを愛していて、そして諦めていた。
世の中の女と子どもは機械人形なのだと自分に言い聞かせているようだった。
母はいつも、私を『普通』にしようとしていた。母は私のことを諦めてくれなかった。
私は配慮の必要な子で、それは誰かに迷惑をかけることだからよくないと考えているらしかった。
配慮とは、私が指令者の言うことに共感を示さないことでほかの機械人形を傷つけないための特別な指導や指示だ。
それを色んな方法で出すことで、母は私を機械人形のなかに溶け込ませようとしていたのだ。
母は『親の愛』を以って、私のズレを正そうと試みた。
私をあの手この手で機械人形のコミュニティに順応させようとしていた。
呪文のように母は私に言い聞かせた。
親は子どもを愛しているからこんなにも厳しいことを言うのだ、と。
他人はあなたがおかしいと思っても放っておくのだ、と。
父が単身赴任になった小学校高学年から、その『教育』は苛烈を極めた。
人格否定。
私の喜怒哀楽は受け入れられなかった。
当時の好きなものは否定された。オタクになったことを鼻で笑われた。
歩き方が変だとショッピングモールの真ん中で妹と母に笑われ続け、帰りたいと言ったらいつものわがままだと言われ、いいと言っても無理やり連れ帰られ「お前のせいで帰る羽目になった」と何時間でも詰られた。
唯一の逃げ場であったインターネットは、当時蔓延していた『ネット依存』という言葉のもと1日の制限時間を決められ、依存者だとして憐れみと憎しみの混じった瞳で見られた。
逃げ場は奪われ、代わりの居場所も失っていった。
母はあくまで私の居場所を『学校』とか『部活』みたいな健全なコミュニティに置いておかないといけないと思っていた。
そのどちらにも居場所などなかったのに。
私の居場所はインターネットにあったのに。
学校でも家でも機械人形の弾圧にあった。
苦しくて仕方がなくて、逃げ出す方法もわからなかった。
そのうち、自分が悪いんだと思うようになった。
自分が機械人形になれないせいで母や妹が傷付いているんだと本気で考えた。
それでも機械人形にいつも届いているらしい、共感という名の指令は私にはどうアンテナを張っても届いてはこなかった。
結果私は、機械人形と同じ表情を取り繕い八方美人なピエロとなった。
そして、嘘で塗りたくった顔面で言い訳と自衛の台詞を並べ立て、自分で自分を追い込んだ。
どうせ私のことなんて誰も理解してくれないし理解も出来ないという卑屈さがあった。
死にたいと思っていた。
高校に入り、自分が機械人形でないことを理解し尊重してくれる友人に出会った。
この時出会った、今も大切な友人は2人いる。
1人は、うーん、変わり者だ。
高校で最初にできた友人が彼女だ。
彼女は普通に、他人と同じ指令を受け取ることができる共感能力を持っている。
でも、それを受けた上で自分で考えてどう動くか、どうするのかを決めていた。
そして、とにかく色んなことにアンテナを張っていた。
化学に明るいのにスピリチュアルなことに詳しかったりする。それを矛盾だとは考えていないらしかった。
もう1人はなんか、やっぱり変な人だ。
彼女は私のわからない共感、指令を言葉で伝えてくれた。私の思考回路を言葉にしてくれた。そして、私のなかにある感情は、私が機械人形だと思っている人のそれとそんなに変わらないんだと教えてくれた。
彼女は『人間臭い人』が好きだという。
2人との出会いから私は、自分が共感能力に疎いということや、自分という人間について考え始めた。
私は母や妹を許さない。同じ言語を話しているはずなのに、お前がおかしいから治せと強要することを『愛情』と定義しやがったことを許さない。
私が愛する、そして私を好きだと言ってくれる全ての人に対する冒涜だと思うからだ。
一生許さない。
二度と会いたくない。
でも、あの時機械人形だとしか思えなかった彼ら彼女らのことは、怖いと思わなくなった。
今付き合ってる男は私と同じASDだと思われる。
死ぬほど、私が引くほど共感能力がない。
会って1ヶ月くらいだろうか、それくらいの時期に私が悩んでることに対して
「え?それめっちゃどうでもいいですね!」とケラケラ笑いながら言ってのけた。
ちなみにこの時Yは3つ下のサークルの後輩にあたる。怖いもの知らずだ。
彼は、勝手に人の気持ちを邪推したり察してもらうことを前提にしたコミュニケーションは相手を愚弄している、と思っている。
だから遠慮がない。
率直に話す。
それでも、あの時の私のような卑屈さがないから、なんだかんだ好かれる人には好かれて嫌われる人には嫌われて生きている。
彼も小学校時代は列に並べなかったり、あらゆることに「なんでだよ!」と理由を問い詰めたりして周囲を困らせていたらしい。
なんでだよ、に答えをくれる誰かと彼は生きてきた。
こういう生き方をしてもよかったんだなぁと思う。
私とYの会話は側からみると喧嘩に見えるらしい。
いつも「え?それ意味わかんない」「それはどういうこと?」と繰り返しているからだろう。
実際喧嘩もよくする。
でも、Yと出会ってから、私はやっと『配慮が必要で迷惑な障害者』から『私という人間』、『誰かの友達』そして『Yの彼女』になれた。
だから感謝してもしきれない。
もうすぐ私の23歳の誕生日だ。
かつて誕生日とは、唯一叱られたり、障害者だと説教を受けずにいられる日だった。
Yはバカなので、
「特に何というわけではないんだけど、最近ほしいものとかあったりするの?」という探りにもなんにもなってないことを1日1回聞くようになった。
ぼかすと多分Yは困惑してしまうので「名刺入れ」と超素直に答えた。
Yの誕生日は1月だ。
成人式と重なるので、今からどうしようかとわくわくしている。
アポロで買収される女の話
少し更新が途絶えてしまった。
私はまだ、生きている。
何をしていたかというと、彼氏Yのために女装コスプレ衣装を作っていた。
何度か言及したことのあるオタサー活動の一環だ。
私は実をいうとちょっと裁縫が出来るので、Yとその愉快な友人達の衣装製作を手伝わせていただけることになった。
それは別に問題なかったし、むしろ嬉しかったんだけど、2日前(ちょうどブログ更新できなくなったあたり)から進捗が芳しくなかったのだ。
……Yがマジで邪魔ばっかりする。
彼に悪意はもちろんない。というか彼に悪意という感情はない。なぜならいい奴なので。
しかしYは壊滅的なバカなので、
裁断済みの布を真っ二つに裁断するわ
小さなパーツをなくすわ
縫製済みのパーツを分解するわ
本当にろくなことをしない。
少年漫画の嫌われるヒロインそのものである。良かれと思って敵地に飛び込んで主人公たちの手間になるアレ。
おかげで進捗が2進3退、全くまともに作業が進んでいなかったのである。
これは、型紙を渡して「この通りに二枚この布を裁断してね、おもて面はこっちだよ」と完璧な指示をしたにもかかわらずYが錬成していた型紙とは全然違う謎の布である。
腹が立ったので縫い合わせて袋にしてやったら顔を書いて「おさかな!」とキャッキャ喜んでた。3歳?
そんなこんななうえに当のサークル活動において連絡の行き違いで大きな手違いが起こり、昨日の地点でかなり製作スケジュールの炎上が決定的になってしまった。
これに関してはもうどう擁護してもYが完全に悪いし割りを食うのは私なんだけど、それにしたって少しイライラして大人気ない行動をしてしまった。
Yに、「私に何か言うことはないの?」と詰め寄ってしまったのだ。
端的に言うとごめんの一言が欲しかった。
それだけあればどうにか折り合いをつけてやってやろうと思った(えらそうだけど)。
でも期待した答えは返ってこなかった。
Y「衣装作ってえらいね!」
私「は?」
Y「あっ違う!ありがとう!!」
私「…」
Y「がんばれ!」
なんかもう毒気を抜かれてしまった。
そんなYでも、私が白眼をひん剥いて徹夜作業をしていたら、流石に申し訳ないと思ったらしい。
Yは私と喧嘩をすると毎回アポロを買ってくる。
これは私が以前喧嘩した時、
「アポロ買ってきたら許してあげる」
などと可愛く言ったせいだ。
アポロで許してくれる女だと思われている。
だから、昨日スーパーに置いてる特大アポロとマーブルを買ってこられた。
食えない。つらい。
思わず
「おやつなんかいいから私を大事にしてよ!」
と、これまたなんか愛を受けられなかったお嬢様キャラみたいなことを言ってしまった。
アポロは美味しかった。
現実に戻りたい。
量産大学生実験
Yが髪を切った。
なんかその辺に100万人くらいいそうな感じの量産大学生みたいな見た目になった。
(ハートのスタンプを何の抵抗もなく使える女の子になりたかった。合掌)
どうだろう。
そこそこかっこよくない?
ギリギリ坂口健太郎じゃない?
ちなみに1年前はこうだった。
味のあるオタクだ。
Yは見た目に無頓着なのでとうぜんこれは私の支配により起こった変化だ。
やったことはシンプル。
【実験名:男子大学生の平均値全部とったらどうなるのか?】
ようは、量産大学生がいかにも着てそうな服とか靴とか髪型とかを全部やったらどうなるのか?という壮大な実験である。
私がその辺の量産大学生みたいな男の見た目が好きなだけである。ごめん。
ファッションには多様性があり、趣味嗜好を持った人間に私の好みなどの勝手な理由で押し付けなどできない。
ましてや実験など出来ない。
しかし、Yの場合はどうか。
聞いてみた。
「服?着てればよくない?」
「髪?前髪のハゲ隠せればいいよ」
「靴?おれ家出ないしなぁ」
「え?選んでくれるの?めんどいから助かる」
服を着なければいけないということを知っていたのは意外だったし靴を履く気はあまりなさそうだが、ともかく常識の範囲ならむしろ喜んで受け入れるらしい。
これを受け、以下のことを行った。
①眉毛を剃る(また、それにあたって死ぬほど松坂桃李の写真と睨めっこする。照れる)
②髪を染めて切る(男子大学生、どんな色かも知らずにアッシュって言ってるイメージあるからアッシュにした)
③無地のうっすいパンツを購入
④VANSの白いスニーカーを購入
⑤グラニフのTシャツ
で、結果はもう完璧に役満量産型男子大学生。
完全勝利。
あと今更
「こいつの顔めちゃくちゃ好みオブザイヤー2018だな?」と思った。
あ、転職の内定が出たので支援のお礼にポールスミスかダニエルウェリントンの時計をあげるか……と思った。
北風と太陽とバカ
台風が近づいているらしい。
とはいえ、私たちの暮らす福岡は今回ルートから逸れているようで、要はあまり心配いらないらしい。
だからこんな悠長なことを言えるのかもしれないが、私は雨とか風とかを楽しめる人が好きだ。
もっと端的にいうとバカが好きだ。男女問わず。
例えば多少の雨風があるときにブツクサと文句を言ったり心配しすぎたりする人よりも、T.M.revolutionごっこができる人がいい。
勿論安全が第一だけど、どんなに気分を害したって死ぬときは死ぬ。
台風の時に具体的な緊急避難の用意と風の対策がきちんと出来ているなら、あとは天気で気分を害するよりもアホの方が楽しい。
私が低気圧で口が痛くなる(?)体質なため、尚更だ。
と、思っていた。
7月に福岡にも台風が上陸した。
私は筋金入りのバカだと自負していたため、同じくバカの友人と露天風呂に行った。
彼女は私の無二の盟友であり、
・ソシャゲでうっかり推しを引いた私が思わずラマーズ法呼吸になると「お母さんいきんで!」となんの打ち合わせもなくノる
・男子高校生のtik tokを探索して勧め合う
・推しの人生を背負う人生ゲームをする
・その最中私の推しが結婚してしまい絶望する
など、私の人生に沢山の輝きをもたらしてくれた存在だ。
彼女のお陰で大学生活が豊かなものになった。
そんな彼女と組んでいれば、私は世界最強のありがちなバカ女子大生とか、限界OLでいられる気がした。
彼女と暴風雨の露天風呂で首だけ出すタイプの蒸し湯に浸かり、「これ晒し首じゃん」などと騒いでいる時は最高に楽しかった。
帰路でYから連絡があった。
アルバイトが台風で中止になり家で暇を持て余しているから、うちに泊まり映画でも観ないかという申し出だった。
たしかに私の当時の住処はそこそこその時の現在地からは遠くて電車が動くかわからなかったし、向かっている駅の近くに住むYの家に行くのは最適解に思えた。
それじゃあお菓子と飲み物を買って晩ご飯はコロッケ作ろうぜということで合意し、買い出しのため駅まで迎えに来て欲しいと依頼。
楽しい夜になりそうだぜと思っていた。
買い物を済ませて帰宅する。
そのときYが呟いた。
「鍵がない」
鍵がない。
どうやらどこかで落としたらしい。
ちなみに私は合鍵とかは持ってない。
締め出された午後9時。
両手にはクソバカ浮かれポンチハッピーセット(知育菓子とジャンクフードと飲み物)。
携帯の充電は風前の灯。
絶望とはこのことだ。
白状しよう。
私はバカが好きなのではなかった。
意図してバカやってくれる人が好きなのだ。
そして自分も意図してバカをやっていた。
目の前にいるのは正真正銘本物のバカである。
どうしよう。
鍵は私がクリスマスにプレゼントしたキーケース(ダイヤちゃんストラップ付き)に入れていたけど、この暴風雨では探すこともままならない。
冷えていく体。
家の前で帰宅難民になると誰が思うのか。
私は死ぬのか。
藁にも縋る思いでTwitterで助けを求めると、有難いことに数人の方が声をかけてくれた。
近くに住んでいる方の家に身を寄せることになり、感謝するとともにYの"""本気のバカ"""に思い上がりを恥じた。
後日見つかったキーケースには、ダイヤちゃんのラバストのもげた首がぶら下がっており、あの夜の凄惨さを物語っている。
一番の被害者かもしれない。
ともかく、バカはほどほどにしよう。